泣ける本格

佐藤寛子

島田荘司『最後の一球』(およそ島田作品らしからぬ装丁)読了。『溺れる人魚』を読んだときにも思ったけれど,この人は謎解きとか関係なく,誰かの半生とか,そういうの専門に書く方に移行したらいいんではないか。昔から上手でしたからね,そういうの。今は昔ほど謎解き部分との密着度がないのよね。しかし,実に上手い。こういうとき「稀代のストーリーテラー」なんていうのだろうか。それと,もうひとつ。この作品は例の「泣ける本格」問題を意識して書かれたのではないか。この作品をどう評価する?と評論家達に提起してるような気がするのだ。考えてみりゃ島田作品は昔から「泣ける本格」だった(『異邦の騎士』とか『奇想,天を動かす』とか。『火刑都市』もそうだろう)けど,いわゆる「泣ける本格」としては評価されてなかったし,そのあたりの整合性も問いたいのではないかしら。うがちすぎか?
◆それにしても図書館に行くのすら億劫になってきて,つくづく私は引きこもり体質だなぁと思う。太陽の出てる間は外に出たくない。太陽ってうるさいから。夜なら静かでいい。昔は夜になると町にさまよい出て,歩道橋の上から車のライトを見物してたが(BGMはナベサダの“MY DEAR LIFE”でひとつ),最近はそれすらしなくなったもんなぁ。ドーデモいいけど,ヒキコ・モリって書くとファッションブランドみたいですね。主力商品はジャージだな。