古新聞

◆うちの職場では新聞を6誌取っている。京都,産経,毎日,朝日,日経,読売。んでもって気になる記事をチェックし,スクラップするのである。しかし,私はスクラップなんか見たことはない。スクラップを見てる人を見たこともない。そもそもスクラップがどこに置いてあるか知らない。これはうちの職場に限った話でなく,どこの部署でも同じようなものである。市役所全体で取っている新聞の量,そのための予算なんて考えただけで眩暈がする。恐るべき無駄だと言わざるを得ない。じっくり読み込むために本を買うというのなら分かるが,こんな程度の使い方しかしないなら,新聞社のサイトでトピックスだけ見てればいいではないか。なんのためにパソコンを配備してるのか。
◆というのも,今朝,職場の古新聞を整理したのである。スクラップしたら,後は深い考えもなく,古新聞入れに投げ込まれるので,私の背丈を優に越える新聞の山が3つもできていたのである。堆く積まれた新聞って圧迫感もあるし,なかなか怖い。あんまり気になるから,10月1日より前の新聞は括って捨ててやろうと思ったわけだ。一人汗をかきながら整理したら,あっという間に午前が潰れた。いや,よくもまぁ午前だけで済んだものだと我ながら思う。あれだけの紙,一体どのくらいのパルプ資源を使っているのだろうか。「海外では,『環境に優しくしてますか?』を『Do You Kyoto?』と言うんですよ」なんて言いながら,実情はこんなもんである。何が京都議定書だ,馬鹿馬鹿しい。