死にたいなら一人で死ね

また酷い事件が起きてしまった。朝から憂鬱だ。被害に遭われた方、その家族や周りの方の気持ちを思うとやり切れない。心からお悔やみ申し上げる。

 

「死にたいなら一人で死ね」なんてSNSで非難すべきでないといってるNPOの人がいる。こういう言葉が世の中に蔓延すると、絶望する人間が増えて、また事件が起きてしまうから、らしい。SNSで流布すべきでないと言ってるだけで、心の中で思うことまで否定しているわけでもないし、言わんとすることは分からんでもない。でも、この人が言ってるようなことって、今回の事件にあてはまるんだろうか。包丁を4本用意して、明らかに自分より弱い子供達を狙って襲うような奴に、「社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない」なんて言葉をかけて何の意味があるのだろうか。こいつは、何の罪科もない子供達を大事にしなかったし、子供達の命を軽視したし、子供達に死んでほしいと思ったし、そして実際に殺したんだぞ。

 

この人は「人間は原則として、自分が大事にされていなければ、他者を大事に思いやることはできない」と言う。それはそうかも知れないが、大事にされたからって他者を思いやれるとは限らないし、大事にされたがゆえに思いやれないって奴もいるだろう。「社会全体でこれ以上、凶行が繰り返されないように、他者への言葉の発信や想いの伝え方に注意をいただきたい」とも言っているが、どんなメッセージが、どんな人に、どんなふうに届くかなんて、誰にも分からない。だったら、こんな事件を起こしたら、ボロカスに叩かれ、身内もボロカスに叩かれるんだぞ、というメッセージだって、同程度に有効なはずだ。

 

このNPOの人は、今回の犯人を弁護してるわけじゃなく、今後、こんな事件を起こさせないために、と思って言ってるのだろうけれど、いささか賛同しかねる。追いつめられてギリギリに生きている人に、優しい言葉をかけるのは構わんが、それでも犯行を決意してしまった人には、「そんなことせず、一人で死んでくれ」と言うしかないのではないか。