灰色の虹

今日も暑かった。おかんは「昨日よりマシかなぁ」なんぞと言うておったが,そんなもん「人糞と犬糞,どっちならOK?」と言うとるのと同じで,実に不毛,無意味,暑苦しさ倍増の発言である。
という前振りは『灰色の虹』と何の関係もない。ツイッターで呟くには字数が多いかなぁと思って,こっちに書いただけである。すみません。でも,そんな暑苦しい中,『灰色の虹』を読みきった体力を褒めてやりたい。
なにしろ貫井徳郎作品である。と言っても,まだ一般には,さほど有名ではないかもしれない。それは苗字が読みにくいせいなのか(「ぬくい」と読みますので,「な行の作家」コーナーに行きましょう),日本中に列車で出張しまくったりしないせいなのか,10時跨ぎで裸が出ないせいなのかは知らないけれど,とにかく,残念ながら,まだ大ブレイクの時期を迎えてはいない。しかし,これは,私のささやかながら,それなりに真っ当だと自負する読書歴に懸けて断言するが,現在向かうところ敵無しの東野圭吾(この人の売れない時期は,実力に比して尋常じゃなく長かったな)の次に来る正統派の推理作家は,間違いなく,この人である。絶対である。私がファンだから言うんじゃない。ツイッターでお話ししたことがあるから言うのでもない。ファンだ,好みだというなら,樋口有介の方に軍配が上がる。あの文体,雰囲気,理屈じゃなく大好きなのだ。でも,それでも,やっぱり貫井徳郎には敵わない。多分「ファン」とか「好み」とかいうのとは少し違うのだな。カーズを前にしたジョジョみたいなもんかな。だから,今のうちにチェックしておきなさい。損はさせない。と偉そうに言う私だが,『ミハスの落日』を,いつも『ハイミスの落日』と見間違えてしまう(「空目」って言葉は積極的に使う気になれんですな)のは内緒だ。
さて,『灰色の虹』である。テーマは冤罪。使い古されたネタかも知れんが,この人が書くとホントに重い。ずっしりくる。ミステリ界のエコーズACT.3なのである。『神のふたつの貌』なんて読んだときにゃ「どうしろって言うんだ?」と呆然としてしまいましたからね。読んでるこっちが,こんなになっちゃうのに,この人,書いてる最中に,ちゃんと飯食えてるんだろうか,血便出まくりなんじゃないか,アトピー痒いんじゃないかと心配してしまうほどだ。なんで,こんなに重いんだろうか。多分,この人,ものすごく真面目で真摯で知的で優しいから,無責任なエンタテインメントにできないんだろうなぁと思う。暗いだけなら横溝正史だって,古い因習に支配されてたり近親相姦しまくったりと,かなり鬱陶しい話だけれど,読後感はそんなに重くない。というのも,あれは絵空事なのだね。読んでる我々とは,とりあえず関係のない話だ。別次元だ。でも,貫井作品は,そうじゃない。描かれているのは,我々だ。しかも「あなた」だって,いつ被害者になるかもしれない,いつ加害者になるかもしれない,なんてレベルではない。事件とはまったく関係のない第三者,たとえば自分が住んでる所とは全然違う土地で起こった事件を新聞で読んでる「あなた」も,当事者なのだ。そして,そんな事件が起きる世界に生きている以上,なんらかの関わり(「世界に対する無限責任」って奴だな)を自覚せざるを得なくなってしまうのだ。『相棒』劇場版2じゃないけれど,貫井作品には,我々読者一人ひとりの意識を厳しく問うところがある。私ゃ,この人の本を寝転んだまま読み終えたことがない。絶対途中で起き上がって座ってしまう。姿勢を正してしまう。そういう気分にさせる作家なのである。
ここまで読んできて「そんな鬱陶しい本,読みとぅないわ」と思ったあなた。それが何故か,手に取ったら最後,読んでしまうわけだ。テーマが重かったりすると,先を読むのが辛くなって本を投げ出してしまった経験もあるけれど,この人に関しては,それは絶対にない。重苦しくて嫌な気持ちになるのは分かりきってるのに,ページを捲る手が止まらない。これ以上一緒にいたらダメになってしまうのが分かっているのに貢いでしまう女とヒモの関係。『黄昏』のローレンス・オリヴィエ。ダイソンのような吸引力。このクソ暑いのに。やはり只者ではない。
と褒めてはきたものの,いくつか不満も無いわけではない。重い重いと言いながらも,これまでの作品に比べると,そうでもないこと(こっちが慣れただけか?)。真相は,かなり早い段階で分かるし,「?」と思う部分もあるし(なんぼなんでも犯人の手際が良すぎるんじゃないか),最終章は,こんなん書くんやろなぁと思ってたら,やっぱり書いてたし(こういうのを書いてしまうあたり,ちょっと人格を疑う,悪い意味でなく)。それに未解決の謎がいくつか残っていることも,生真面目な読者には不満かもしれない(でも,未解決のまま置いてあるからこそ意味があるんだよ)。でも,そんなものは小さな小さな引っ掛かりに過ぎないし,作品の価値を少しも下げるものではない。とにかく必読の傑作であるからして,是非読むように。買ってね。単行本は無理でも,文庫になったら買ってね。とにかく,貫井作品にハズレはないのだ。
もっとも,貫井作品といっても暗くて重い話ばかりではない。Wikiにも「読後感が非常に暗く重い作風で知られるが,本人は明朗な性格で知られ,近年は明るい作品も書くようになった」と書かれている(しかし,誰が書いたんやろ,この記事。かなり笑える)。私としてはソフトエロでピンクなユーモアミステリを書いてほしいのだが,御本人に却下されてしまった(若い女性の賛同も得たのに拒否するとは,貫井氏はかなり硬派である)。さる筋によると(って御本人がツイッターで呟いておられたのだが)次回作は死刑制度をテーマにするとのこと。これまた重苦しくなること間違いなしである。ただ,心配なのは,死刑制度について,深く深く考えるうちに,これはもう制度自体がダメだから,自らの手で仕置きしなきゃならんと思われたりして,リアルに犯罪者になってしまったりしないだろうかということである。なにしろ貫井氏は筋金入りの「必殺者」であらせされるから。