醜い心

平成14年4月。私は係長になった。最短コースにプラス1年という早い出世だった。当時の職場は優秀な職員ばかりでチームワークも良く,異動してからも飲みに行ったりしていた。また,仕事で折衝する相手も各局を代表するだけあって皆優秀で,難しい仕事ばかりで滅茶苦茶に忙しかったが,今にして思えば,やりがいのある日々だった。そこで3年係長をやった後,私は別の職場に異動した。そこが酷かった。前任者は何も仕事をしておらず,しかも,仕事をしていたと私だけでなく市長レベルにまで嘘をつき,何の引継もしなかった。上司である課長も部長もそれを知っていたが,何の動きもみせず,私が動くように訴えても最後まで何もしなかった。折衝相手も仕事をする気など全然なく,むしろ後退させようと妨害ばかりする始末。部下は配属されたばかりの新人で一人前に動ける状態ではなかったから,私は孤立無援で,毎日点滴を射ちながら動き回ったが,ついに心身の限界を迎え,1ヶ月の病気休暇を余儀なくされた。それでも,部下からの相談を受けたり指示を出したりとパソコンでやり取りしてたから,事実上休暇ではなく在宅勤務みたいなものだった。1ヵ月後職場に復帰したが,事態は何も好転せず,私はたった1年で異動,つまり敗退したのだった。次の職場は私の苦手な窓口職場で,治ってない体調とも相俟って,半年後に倒れ,1年間の病気休暇に入ることになる。その間は,ひたすら横になっているだけで,毎日ベランダ(当時はマンションの6階に住んでいた)を眺めながら,飛び降りることばかり考えていた。そして,リハビリを兼ねて職場に復帰,半年後に正式に現在の職場に配属された。とても部下の教育など出来る状態ではないと判断したので望んで後任,3年が経過した。体調は順調に回復しつつあり,薬も減ってきている。突然身体が動かなくなって休んでしまうこともなくなった。
そして,先日,14年度の職場のメンバーから,久しぶりに飲みに行こうとのメールが来た。当時の課長は部長に,係長は課長に,部下はそれぞれ課長,課長補佐,係長になっている。そのことについて嫉妬したりはしていない。なにしろ,あれから10年経っているのだ。当然の昇任である。私の体調のことでも随分と心配をかけてしまった人たちである。本当にいい人たちなのだ。しかし,あの仕事をしなかった連中も同様に昇進している。だから,こんなメールを返してしまった。

ドロップアウトし志を失い誇りは地に堕ち最早面影すら窺えぬ日々惰性で生きる平社員の私に参加資格などあろうか。
友が皆 我より偉く見ゆる日よ 花を買いきて 妻と親しむ /啄木
あのとき私一人を焦らせる原因となった連中が昇進していくのを見て、心中にどす黒い怒りと絶望的な悲しみが湧いた。達観することもできず、かと言って再起する意欲も抱けぬ生きる屍。人に会わせる顔も持ちえぬ。』

なんと小さく,卑しく,惨めで,醜い心だろうか。結局,私は何も変わっていない。治ってなどいないのだ。目の前が真っ暗になった。情けないを通り越して恐ろしい。就職してから20年経った。定年まで,まだ20年近くあるのだ。まだ半分なのだ。私はこれからどうなるのだ。あれから,ただ俯いて,涙を堪えるばかりの日々だ。そして,今日もまた。